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永遠なる命:不老不死の科学的根拠と社会への影響

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永遠なる命:不老不死の科学的根拠と社会への影響

永遠なる命:不老不死の科学的根拠と社会への影響

2024/06/14

寿命の考え方についてまとめてみようと思います。
人間の寿命についての考えには正解がありませんから、人の数だけ寿命についての判断があるといっていいでしょう。ただ、人には寿命があっていつか必ず死が訪れるのも間違いありませんから、人生のゴールは死であってそのゴールに向かってどのように生きていくかがとても大切だと考えています。そこで、今回は最近になって浮上してきた人間の不老不死をテーマとして掘りさげることで寿命について考えるきっかけにしたいと思います。

 

一昨年あたりから、老いは病気であるから防ぐことが可能で、死もまた克服できるようになるという発信をよく見かけはじめました。2050年ぐらいに人間は不死になることができると主張するような研究グループや書籍(『LIFESPAN 老いなき世界』など)もあります。

 

不老不死はおおまかに2つの要素から成り立つのですが、簡単に説明しておきます。
1つ目の要素は、老いるということは細胞の老朽化ではなく病気であると考えるのです。細胞は時間経過などの要素で、自死するというしくみがあり、その機能をアポトーシスといいます。そのアポトーシス、自然死の機能を止めてしまうことで老化を防ぎます。

 

もう1つの要素は、DNAを操作することです。
DNAの端には、テロメアというタンパク質があり、そのテロメアの長さがDNAが分裂できる限界の数を決めています。DNAが分裂するたびにテロメアが短くなってゆくのですが、それが亡くなった時が寿命だと考えることができます。そのテロメアの短縮を防ぐことで細胞の老化を遅らせ、さらにはその損傷へなんらかの対処をすることで不死を目指そうというものです。

 

ここで不老不死を求め、そして実現したときに我々にどのような変化が起こるかについて考えてみようと思います。まずは、実際に、不老不死を目指した人たちについて振り返ってみます。

 

中国を歴史上初めて統一した秦の始皇帝が不老不死を求めたことは有名です。
彼は歴史書などでは批判的に書かれることが多い人物ですが、誰もがなしえなかったことを達成したという点において非常にすぐれた人です。だから、妄想にとらわれるようなことがない聡明な人物だったと思うのですが、不老不死をもたらしますと進言した徐福という詐欺師の被害にあいました。

 

日本でも大化の改新の立役者である藤原鎌足の遺骨からヒ素や水銀が検出されたということで一時期話題になっていました。ヒ素や水銀は猛毒ですから、彼は毒殺されたと思うかもしれません。しかし、学者は不老不死の薬であると騙されて自ら飲んでいたのであろうと推測していました。水銀の被害で有名な水俣病の症状から推測するに、亡くなる直前はまともな生活は送れていなかったであろうことは容易に想像することができます。

 

不老不死についてイメージ沸かないようであればマンガや小説を例に考えてみてください。
マンガや小説などで見かける不死の人間はたいていがひどい存在です。人生に終わりがないから目的や目標をもたないまま退廃的な生活を送っているし、寿命のある人間の気持ちが理解できなくなって周囲からは嫌われています。

 

例外として、人間の良心を残したまま不老不死になった話に高橋留美子の「人魚の森」「人魚の傷」というマンガがあります。この主人公は、不老不死を求める野心家たちから常にその秘密を狙われ平穏な生活をおくることができなくなっていました。やはり不老不死なんかに関わると人生から潤いが失われてしまうと思わずにはいられません。

 

不老不死を求めた優秀な人たちは、詐欺師に簡単に騙されて下手すると命まで奪われているということになります。金銭的に大成功した人たちが、不死の研究にかなり投資しているそうですけど、現代でも同じことが起こっているのではないかと思えます。そして、仮に不老不死を実現したからといって人間が幸福になるかどうはまた別問題でかえって人生を狂わせてしまう可能性が高いように思えます。

 

一方、実在している不老不死の生物についても考えてみるべきでしょう。

 

例えば、センチュウというミミズのようななめくじのような生物がいます。ナイフで体を分断すると2匹に増える生物といえば思い出す人もいるかもしれません。近年ですが、4万年前の氷河から見つかったセンチュウを解凍してみたら生きていたということで話題になっていました。

 

センチュウには本当に寿命がないそうです。
進化の過程において哺乳類は、センチュウよりさらに進化した存在です。これは、人間が生物として非常に複雑な構造をしており、それに比べてセンチュウは非常にシンプルだということ意味しています。このことから推測すると、その構造がシンプルな原始的生物には寿命がなかったということが言えるのかもしれません。逆説的に考えると、不老不死という存在は実はシンプルなもので、寿命がある生物であるということはより複雑なシステムを持っているということが言えるのではないでしょうか。

 

生物学的に考えると進化が逆行するということはありえないというのが現在の定説です。
哺乳類が進化を逆行しては虫類や魚類に戻ることはありませんし、鳥類が進化を逆行して恐竜にもどるということもあり得ません。クジラやイルカは陸上の哺乳類が再び海にその生息域をもどしましたが、哺乳類のままで海に最適化して進化したのであって魚類に戻ったのではありません。もし、ピンと来ないようであれば進化論を復習してもらうとよいでしょう。

 

すると、やはり人間の不老不死は無理なのではないかと思えます。
私たち人間の遺伝子には、かつて不老不死であったときのDNAの痕跡は確かに存在しているのかもしれません。それで、そのDNA機能のスイッチをいれて、老化と死のためのDNAの機能をオフにするというのが今行われている研究です。つまり、不老不死になるということは進化を逆行しようとする試みといえるのです。不老不死になったら、仮に事故で腕や足が切断されたときに、二人に分かれるような存在になるなんてこともありえるわけですが、私にはそれが実現するとは思えません。

 

多分なのですけど、医学をベースに考えると可能になってしまうのかもしれません。
医学は、人間の体を構成する要素を心臓、肺といった内臓に、筋肉、血管、脳というようにすべて別個の働きをしていると考える傾向が色濃い学問です。臓器移植が盛んになれば助かる命がたくさんあるという発想だと言い換えるとわかりやすいでしょうか。実は、この思想は整体師からはとても違和感を感じる考えでもあります。

 

仮に、不老不死が実現しても得られるものは締め切りの延長でしかありません。
もっと身近な言葉で表現するのであれば、「終わりのない夏休み」でしょうか。子供ならそれでよいのかもしれませんが、成人して自立した大人がこんなことを言っていたらどう感じるでしょうか。そして、期限があって時間が限られているから人間は努力して向上しようと思えると私には思えます。

 

また、不老不死が達成されたときにどういう社会になるかというと、超高齢化社会しか私には想像できません。現在の日本社会の問題点の大半が高齢化に原因があることを考えれば、それをさらに深刻化することになるのは明らかではないでしょうか。ですから、本当に我々人類の幸福を求めるのであれば、少子化の対処にこそより多くの研究資金をつぎ込むべきだと思えます。

 

そして何より、いつかやってくる死に怯えて暮らすのではなく、今、生きることを何よりも優先してみてはいかがでしょうか。それができればかなり幸福な人生を送れると私は思うのです。
 

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